遠い昔、海老名の一部は相模湾からの入り江となり、洋々たる水に満たされていたという。その後海岸線が後退、一筋の相模川の流れに昔の面影を残し、今日の海老名が誕生した。
市域の南北に長い地形の中央を、標高60メートルの座間丘陵が縦断、西側の低地と東側の丘陵地帯とに大きく二分されている。丘陵上は、古くから人間が生活しやすく、海老名でも2万年前(先土器時代)から人間が生活していた形跡が認められている。
時を経て条里制が敷かれ、旧東海道が開かれ、海老名には浜田の駅家がおかれた。当時は、広大な相模平野を滔滔と流れる相模川、大山・丹沢の山並みの上に仰ぐ富士山など、雄大な景勝の地であった。さらに奈良時代には、聖武天皇の詔勅(741年)により、国分寺の僧寺や尼寺が建立され、経済・文化の中心地として栄えた。
その後、国分寺は天災や戦乱の為衰退したが、平安末期から鎌倉時代には、海老名氏の拠点として河原口に館が築かれていたという。 |
|